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砥石の話

工房日誌に、2004年5月9日から7月9日まで8回に分けて掲載したものです。長くなったのと、比較的たくさん質問のメールなど頂きましたので、あらためてまとめてみました。

はじめに

アマチュアの人から良く受ける質問に一つに、砥石は何がいいのか?があります。また、一時の木工ブーム以降、木工や木工具の蘊蓄を特集した雑誌なども多く、なかには、私たちより多くの知識を持った方もいらっしゃいます。そうした人からは、鉋には巣板(すいた)が良いと言われているがどうかなどと、さらに具体的なアドバイスを求められる事もあります。私は、アマチュア・プロを問わず、良い仕事をするためには、正確な墨をつけることと、真っ直ぐ良く切れる状態に刃物を研ぎ上げ、仕込むことだと考えています。研ぎや、砥石に関心を持たれるのは、その意味でたいへん良いことだと思います。しかし、実際にはそうした問いには、返答に困るの場合が多いのですが、その理由は、大きく二つあります。

ひとつは、他の道具についても言えることですが、最低限の使いこなしのために知識や技量がないと、どんな良い道具・砥石を使っても全く意味がないのです。砥石の場合、最低限刃物を裏も表も、真っ直ぐに平面に研げる技量がないと、その良否を云々する意味がありません。砥石の良し悪しと、その価値を認識するには、最低限の研ぎの技術とそれを習得するための訓練が必要です。

すり減った砥石を重ねて見る

上の写真は、この何年かの間に、私が仕事で使い研ぎ減らした人工の中砥石です。実際には割れたり、処分してしまったものもあるので、もっと多くの砥石を潰してきました。こうしたものを保管しているのは、細くなった木端面を成型して、彫刻刀や曲者の鑿などを研ぐためです。層の重なり方が違う天然砥石では、このように木端面を使って研ぐ事は出来ませんが、言うまでもなく人工の砥石では問題ありません。

さて、砥石の良し悪しというのは、このように毎日のように刃物を研ぎ、仕事をしている人間の話だとまず認識してください。それは、仕事の能率とか出来に直結する道具にほかなりません。刃物の裏も表も真っ直ぐに研ぐと言うのも同じ事で、そうでないと、つまり丸刃に研いでいたのでは、いつまで研いでもまともな刃はつきません。仕事で刃物を研ぐ必要のない、丸刃にしか研げないアマチュアの人は、別に砥石にこだわる必要もないというのが、正直な気持です。もっとはっきり言うと、まともに刃物も研げないアマチュアやフェティッシュな収集癖を持つ人が、希少さや天然という言葉の響きで砥石を漁って欲しくありません。それにより、不当に価格が上昇し、本当に使いたい人が使えなくなってしまうのを恐れるのですが、現状は、既にそうなってしまっています。砥石の質や、銘柄を云々するなら、最低一二枚は中砥石を潰し、鉋の裏出しを何度か行うくらいに研ぎを経験してからでも遅くありません。

二つ目は、必要以上に強調され過ぎているようにも思いますが、砥石には刃物との相性があり、その刃物の研や仕立は、仕事の内容や材料により違います。従って、一概にどの砥石が良いとは言えないのです。私自身は、鉋に関して言えばもう使う砥石はほぼ決まってしまいました。それは、使う鉋自体が決まっており、さらには使う材料や仕事の仕方が、最近になってようやく固定されてきたからです。具体的には、鉋の仕上げ研ぎには、近辺の町の道具屋で買った写真の砥石をもっぱら使っています。これで研ぐ鉋は、三木の鉋鍛冶・Yさんの打った鉋です。今でも炭焼きの伝統を守るYさんの鉋は、柔らかい地金に薄い鋼、浅い裏隙に全体に華奢な作りという鉋本来の機能的な姿形を継承しています。研ぎやすく、裏出しも簡単で、研いでは使い、裏が切れたら叩いて出しという鉋本来の使い方をするには本当に使いやすく、ありがたいものです。私は、Yさんにお願いして打ってもらった様々な幅の白紙・青紙の鉋を使い分けて、他のものは通常の仕事ではほとんど使わなくなりました。

常用の仕上げ砥石

このYさんの鉋、特に白紙と呼ばれる炭素鋼の鉋を研ぐには、このこの砥石はたいへん具合いが良い。かなり固めで、研ぐと砥糞と呼ばれる砥石の粒子自体はほとんど出ないのに、鋼と鉄は黒くおりる。こうした砥石の場合、往々にしてコロコロとして安定せず研ぎにくいのですが、Yさんの鉋とは良くなじみ軽く前後に動かすだけで黒い研ぎかすが出て、刃がつきます。

良い砥石は黒い研ぎかすが出る

天然砥石の場合、粒子が細かく固く締まっているものは、研磨力も強く、面も悪くなりにくい。そのかわり刃物とのなじみが悪く安定して研ぐのが難しくなります。逆に、柔らかい砥石は刃物とのなじみが良く場合によっては吸付くような感覚で、安定したストロークで研げます。そのかわり、研磨力が弱く、面が悪くなりやいので、良い刃をつけるのが難しくなります。一般にこの二つの特性は両立しにくく、特に粒子が細かい人造の砥石では、固く刃物のなじみが悪くなりがちです。天然の仕上げ砥石の場合、その粒子の細かさやその結合具合いの粘度の固さにより、刃物によっては研磨力と研ぎやすさが絶妙にマッチする場合があります。人工物でないある種の不均質さが、良い方向に作用するのかもしれません。ちなみに、上の砥石の場合もう一つ便利な点があります。砥石の部分により微妙にその粒子の細かさや、粘度が違うのです。写真の右側、少し赤みを帯びた部分は比較的粒子も大きく柔らかく感じます。まずこの部分で中砥石の細かい研ぎ傷を取り、最終的に左側のより粒子が細かく固い部分で仕上げるという使い方をしています。

回りくどい言い方になりましたが、ようするに私自身が、良い砥石と巡り合ったと感じ、それを常用するようになったのはも最近の事です。それは、ストックを持ち普段使う材料をクリにして、それに良く合いきれいに削れるYさんの鉋を普段使いにするようになったからです。さらに、そのYさんの鉋となじみが良く鋭く研ぎ上がるのが今の砥石だと言う事です。ですから、今使っている砥石が、他の人にとっても良い砥石とは限らないのです。つまり、一般論として、どの砥石が良いとは言いきれないのです。まず自分のしたい仕事、作りたいものや使いたい材料があって、そのために道具が決まる。そしてそれを研ぐための砥石が必要になると言う順番です。そうして自然に選んだ道具や砥石は、決して巷間の評判やまして価格では決まらないと言う事が分かると思います。私の場合は、そうでした。

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所有している砥石の紹介

一般論で、しかも説教めいた事ばかり書かれても面白くないでしょうから、私の使っている砥石を紹介します。ただし、特に高価で珍しいものはありません。その後で、もう一度、砥石の選び方について体験した事を書きます。

天然砥石

もう、天然の砥石と言えば、仕上げ砥石を指すようになりました。私が子供の頃は、どの家でも砥石が転がっていました。今思い出すと、それは包丁用の青砥、鎌やヨキ用の天草や大村でした。それらはもう見ることもありません。仕上げ砥石のみが、一部の刃物を扱う職人に今なお重用されています。人造の砥石では、微妙な研ぎ上がりの感覚を再現するのが難しいからだと思います。

○○本山仕上げ砥

仕上げ砥石・本山

現在鉋用に常用している仕上げ砥石です。隣の桑名市の道具屋で購入しました。銘柄は、何とか本山、値段は2万円程度だったと記憶しています。私は、自分で使うための道具に関してはこうした点に無頓着ですぐに忘れてしまいます。と言うか、この世界では正本山だの、純真正本山だのまがまがしいブランド名が横行して、どうでも良いという気持です。この砥石については、前に書きました。見るからに良質で高価な砥石の風情ですが、厚みがなく若干小振りで、角が欠けているため、比較的安価であったようです。

巣板(すいた )

仕上げ砥石・巣板

アマチュア時代から20年近く愛用してきた砥石です。実は、当時住んでいた京都で、大型ゴミとして他の道具と一緒に捨てられていたものです。上質の巣板と呼ばれる仕上げ砥石だと思います。拾ったときは既に大きく割れて欠損してましたし、全体に亀裂が入っていました。それを、卵白と漆で固めて使ってきました。天然の仕上げ砥石は良いものだと初めて実感したのは、この砥石でした。固く刃物を当てもほとんど砥糞が出ないのに、白い砥石の表面に黒い金のおりた研ぎ汁が広がります。その一方で、砥面と刃物が吸付く様になじみ、力を抜いて刃物を磨き上げるような研ぎが出来ます。残念なことに、時間をかけてもごく細かい研ぎ筋が消えません。実用上は問題はありませんが、やはり気になります。研ぎ方が悪いのかもしれませんが、細かく入った亀裂のせいかもしれないと思います。天然の砥石、特に巣板と言う層のものは十分に養生しなければいけないと思い知らされました。

三河白(みかわしろ)

三河白砥石

このきれいな模様の砥石は、五六年ほど前に、大阪四天王寺のガラクタ市で見つけたものです。露店のブルーシートの上に無造作に並べられていました。ほこりだらけで、黒く汚れて面もガタガタの状態でした。とりあえず触った感じが固そうな砥石だったので、ダメモトで、値切って買いました。確か、\3,000にしてもらったと思います。持ち帰ってとりあえず面を出してみると、こうした美しい色と模様が出て来て驚きました。ある道具屋に見てもらったら、三河白と呼ばれ、名倉砥石として使われるものの一番上等なものだろうとの事でした。非常に強い研磨力を持ちますが、固すぎて鉋などは研げません。名倉に名倉をかけるというのも変ですが、名倉をかけて面を作るとそれなり研げます。切出とか、白書などの研ぎに使っています。この砥石は、隣町の非常に腕の良い、道具好きの大工さんが大変気に入られたようです。その方は、砥石は黄色で固ければ固いほどよい、刃物とのなじみは名倉のかけ方でいくらでも調整できるとの考えをお持ちでした。ご自分のお持ちの一番良い砥石と交換してくれと言われましたが、丁重にお断りしました。実用的には、その良い砥石と交換してもらった方が良いのは明らかなのですが、こうのように変った経緯で手にいれた道具には、何かの縁のようなものを感じて、手元に置いておきたいのです。

その他

仕上げ砥石その他

真ん中の砥石は巣板、上の本山と一緒に桑名市の道具屋で買いました。下の方に金筋と言われる傷があることもあって確か、\8,000程度と安価でした。さいわい金筋自体は、金を引くこともなかったのですが、全体に柔らかく砥糞が出るばかりで良い刃がつきません。巣板と名前があれば、なんでも良いというわけではありません。

左右の二枚のものは、現在も採掘を続けている唯一の砥山と言われる京都府亀岡市の日照山(ひでりやま)産のものです。右の幅広のものは、泥っぽいと表現される柔らかく研磨力の弱い代物で、使い物になりません。実は、この砥石は私の持っている物の内一番高価ですし、それなりに慎重に試し研ぎもして選んだはずでした。短い時間の試し研ぎでは、良し悪しは分かりにくいものだと思いました。左のものはそこそこ固く金もおろすのですが、なじみが悪く使いにくいものです。

仕上げ砥石・本山

左と真ん中のものは、大阪四天王寺のガラクタ市で買ったものです。左のものは泥の固まりのようなもので、使い物になりません。ただし、良くホームセンターや怪しげな金物屋に置いてある4〜5000円程度の天然仕上げ砥石と銘打たれているものに、この類が多いようです。

真ん中は、良く分かりませんが、名倉として使われる対馬黒の大きなものだろうとの事でした。固く研磨力も強く、良質の粒子の細かい中砥石として使えますが、ベスターの#1200とあえて交換するメリットもないと言う感じです。

右の砥石は、京都に住んでいたアマチュア時代良く通ったT砥石さんで買った木端砥石です。形が悪く金筋が入っているからと、具体的な金額は忘れましたが安くしてもらいました。しかし、そこそこ良い砥石で、今も主に鑿の仕上げ研ぎに使っています。産地や層の名前も聞いたはずですが、忘れてしまいました。T砥石さんでは、この手の木端砥石を色々買わせてもらいましたが、人に譲ったりして今手元にあるのは、これ一つになってしまいました。

仕上げ砥石・本山

左は剃刀砥、四天王寺で何かのついでに買いました。右のものは、大阪の金物屋で鉋を買ったとき、ついでに買った木端ですが、特に印象に残っていません。

人造砥石

中砥石に関しては、特にこだわりがなければ人造のもので十分とされています。私もそう思います。以前は、かなり高級とされる立派な青砥を持っていましたが、さる料理人に譲りました。

一般的には、どこにでも売られているキングというメーカーの煉瓦色のもの#1000で十分でしょう。私は、ベスターという商品名の#800、#1000、#1200のものを使っています。価格は、キングの倍ほどしますが、標準サイズで寸八と呼ばれる鉋が研げる幅があること、研磨力が強く比較的面の精度が崩れにくい事、などの理由で使っています。一般にはキングの#1000で良いでしょう。\1,000程度のものですから、これを研ぎ潰すまでに、どれだけ遊べるかと考えると安い買い物です。

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砥石の選び方

天然仕上げ砥石の選び方

銘柄・産地

天然砥石の名前は、取れた石の層・産地・色などの外観などで様々な呼ばれ方をしています。収集または投機対象として集めるのでなければ、どうでも良いでしょう。大突のカラスは良い中山のものは粒子が均一で良い巣板は鉋が良く研げる、風評や定説は色々あるようですが、参考程度にして鵜呑みにしないほうが良いと思います。

大きさ・値段

定尺の大きさがあるようです。それを外れたもの、形の悪いものは木端扱いで、値段は下がります。自分の研ぎたい刃物に合わせて考えれば良いでしょう。私の場合は、鉋用の砥石の場合、二寸の鉋が研げると言うのが条件になります。面直しの事を考えれば、必要以上に大きく立派なものは不用でしょう。厚みも同様で、普通に使う分には仕上げ砥石などそう研ぎ減るものでもありません。私の場合も、あと何年この仕事を続けられるか分かりませんが、今所有しているものを、一生かかっても使いきる事はないでしょう。

試し研ぎ

産地、銘柄、値段、色、など砥石を選ぶ決め手にならないとすると、自分で自分の研ぎたい刃物を持参して、試し研ぎしてから購入するしかありません。プレミア扱いの立派な砥石を別にすれば、たいていの砥石屋や道具屋であれば、試し砥ぎをさせてくれます。どの道、試し研ぎもさせてくれないような、立派な砥石は、買っても使えないでしょう。肝心な事は、相応のお金を用意して、今日は必ず一枚は買って帰るから、研いで選ばせてくれと、あらかじめ店の人に告げておくことです。そうすれば、たいがいは親切に応対してくれます。妙な駆け引きや、冷やかし根性は、相手にも当然伝わるものです。別に砥石に限りませんが、そうした自分の態度を差し置いて、どこそこの店は態度が悪いとか、敷居が高いと文句を言うのはお門違いです。

それでは、良い仕上げ砥石の条件はなんでしょうか?人夫々かもしれませんが、私の場合は以下の二点だと思います。

上にあげた二点は、往々にして相反する条件になります。これらをあわせ持つ、または、自分の持つ刃物の特性や研ぎの技量・癖などで最適のバランスを持つものを探すことになります。これまでの経験から言うと、店で試し研ぎして研ぎやすいと感じたものは、たいていは柔らかすぎました。少し固めで、ころころするかなと思うくらいが、使い込むには丁度良いように思います。原因は色々考えられますが、いつもの研ぎ場と違う環境・姿勢では安定した研ぎが難しい事、新品の砥石の面は多少なりと凸面になっており研ぎにくい事などにより、柔らかく馴染みやすい砥石をつい選択してしまうのかもしれません。特に、丸刃にしか研げない人が、その丸刃の刃物を持って試し研ぎをすれば間違いなく泥の固まりのような柔らかい砥石を選ぶことになると思います。そうして最初はなじみの良さに感心して、さすがに天然の砥石は良いと満足する事になると思いますが、結局良い研ぎは出来ないままで、研ぎは難しいとか、砥石選びは難しいで終わってしまいかねません。

養生

それで、高価で希少な天然の仕上げ砥石を購入したら、最低限の養生は絶対に必要です。これまでの多少の経験から言って、中砥石と違って仕上げ砥石の場合は、たとえ薄いものであってもそうそう使い減って潰してしまうものではありません。むしろ養生や手入れが悪く、割れてしまったり、本来の性能が生かされない場合が多いでしょう。逆にちゃんとした扱いをすれば、長い期間、おそらくは一生の間使える道具になります。以下の事は必ず実行しましょう。

  1. 研ぐ一面を除く五面は漆を塗り重ねて保護する
  2. 使用後は、砥糞をきれいに洗い流して、名倉で面を直す
  3. その上で、水気を取り布などにくるんで冷暗所に保管する

何かで読みましたが、天然の砥石というのは、地中の暗く圧力のかかった状態の中で、何千年と言う時間をかけて生成されたものである。掘り返されて地上の空気に触れた瞬間に崩壊が始まる。なるほど、そう言うものかもしれないと納得しました。そうすると、上にあげた養生というのもある意味当然の事でしょう。漆にかぶれるのが嫌だと言う人は、購入をあきらめた方が良いでしょう。酷な言い方をすると、研ぎとか木工への意志などその程度のものなら、砥石を云々する必要もないと思います。

また、研ぎ終わって横着して砥糞をそのままにしておくと、確実に砥石を痛めます。また磨きあげるような本来の仕上げ研ぎは結局出来ません。普段は、そこまでやりませんが、仕上げ研ぎの最後の段階は、感覚的には鏡の汚れを拭き取って磨きあげるようなものです。天然の仕上げ砥石を合砥あわせどと称するのも、そこから来ていると聞いた事があります。前の研ぎの砥糞や、金のおりた汚れた布巾で、鏡を拭く気になるかと考えれば、そうした扱いは出来ないはずです。

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研ぎの基本

砥石を使う場合、何より大事なことは常にその面を平らにしておくことです。一般には面直つらなおと呼ばれている作業ですが、これがきちんと出来れば、もう研ぎの勘所の半分以上は会得したと思って良いでしょう。逆に、砥石の面を凹んだままで、何千時間砥の練習をしても、時間の無駄にすぎません。言い換えると、研ぎと言うのは砥石と刃物の面の平面を作り、維持し続ける事、その結果として刃物の刃先が鋭利に仕上がるのだと考えてください。

ですから、研ぎの練習をするというのは、以下のような事です。

  1. 砥石の平面を維持する
  2. 刃物の裏も表も、お互い一定の角度を保ったままで平面を作る

心構えとして、早く研ぎ上がれ、早く鋭い刃先を作ると言うのではなく、砥石も刃物も丸くなるな、平面・平面と念じながら研ぐようにしましょう。慣れないうちは頻繁に刃物を返して、丸くなっていないかを確認しながら研いでください。一端丸刃に研いでしまったものは、少しづつ慎重に平面を広げてゆくと言うくらいで間違いありません。結果的に、そうすることが時間も労力の面でも、もっとも効率的に鋭く研ぎあげることが出来ると言うことが、いずれ分かるはずです。

良く、丸刃に研ぎ上げようが結果的に鋭利な刃先がつけば良いのだと言う人がいます。確かにその通りかもしれませんが、実際には丸研ぎで鋭利な刃先に研ぎ上げるのは難しいですし、たいへん無駄な労力と時間がかかります。それに、鉋にしろ鑿にしろ丸刃に研いであると正確で良い仕事は出来ません。

凹んだ砥石で、凸になった刃物を研ぐ

砥石は、使い続けるとどうしても凹状に窪んだ形になります。こうした状態で使い続けると、それで研いだ刃物は凸状に丸刃になります。上の図はその状態を模式図にしたものです。砥石と刃物は線でしか触れていません。実際には、研ぎのストロークと垂直の方向にも砥石は窪んでいますから、砥石と刃物は点でしか触れていない、つまりは点でしか研げていない事になります。これを、無理に刃先を砥石に当ようと力を入れてシャクルような形で研げば、何度かに一度は刃先も砥石に当たるかも知れませんが、ますます刃は丸くなっていきます。くわえて、見かけ上の研ぎ角度よりも、実際の刃先の角度は鈍角になります。

平面の砥石で、真っ直ぐな刃物を研ぐ

これに対して、砥石も刃物も真っ直ぐに平面に研ぎあげてあれば、図のように砥石と刃物は面で触れ合っていることになります。当然安定した力を抜いた研ぎが出来ます。それに無理にしゃくって研がない限り常に刃先も一緒に研ぎあげることになりますから、能率も良くなります。

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面直つらなお

砥石は、特に意識して使わない限り凹面にへこんだ状態になります。試しにもし砥石をお持ちなら、定規を当て点検してみてください。短いストロークで、ある程度意識的に使えば、全体としては凸型に、または平らに近い形状に研ぎ減らす事もできますが、その場合でも図のように局部的に凹んだ状態になります。それでも、こちらのほうが面直しは容易ですし、その際に無駄に摺り落とす部分も少なくてすみます。高価で希少な天然の仕上げ砥石は、意識してこうした使い方・減らし方をしています。

階段上に凹凸の出来た砥石の表面

通常は、先に示した図のように全体に大きく凹んだ状態になっていると思います。砥石は、一端完全に近い平面にその面を直しても、一ストローク研ぐごとに、その分、面は悪くなっていきます。たとえば刃先の木綿糸くらいに白くなった一寸四分程度の鉋なら、キングの#1000を使えば三分間も研げば、刃先の白い部分はなくなります。その際、アマチュアの人がやるように砥石の真ん中の部分を中心にゴシゴシ研げば、もうそれだけで相当に砥石は凹んでいるはずです。そうした使い方をした場合、その面を直す必要があります。決してそのまま別の鉋を研いではいけません。そんな馬鹿なという前に、実際に自分の使った砥石の水気を良く切って、定規を当て確かめてください。もし、目で見て分かるほどに砥石が凹んでいるとすれば、そんな状態で使うのは、研ぐと言うより刃物を潰していると考えて下さい。

研ぎによって悪くなった砥石の面は、常に修正する必要があります。一般的にはコンクリート・ブロックなどの固いものに擦り合わせる方法が紹介されています。大きく凹ませてしまった砥石や、購入したばかりのものならそれも良いでしょう。もう少し精度を持たせるために、厚手のガラスの表面にサンドペーパーを張り付ける方法があります。慎重に行えば、かなりの精度で平面を作ることができます。それ用の治具と専用のペーパーも市販されています。私も使っています。通常は、頻繁に砥石の面をチェックし、そのたびにこうした治具で面を直す習慣を身につければ良いでしょう。

私は、前に書いた通りベスターという商品名の人工の中砥石を使っています。#800、#1000、#1200を、刃物の状態によって使い分けています。鉋などで、刃先が髪の毛ほどに白く光っている状態なら#1200、誤って微細な刃毀れが生じた状態なら#800からといった感じです。いずれも2枚ずつ持っています。この同じ粒度のもの同士を普段は摺り合わせて面を直しています。擦り合わせには、目詰りを直すという意味もあります。このように同じ固さのものを擦り合わせると、必ずどちらか一方が凸に、もう一方が凹になります。完全な平面を作るには、もう一枚同じものを用意していわゆる三面擦りを行わなくてはなりません。三面擦りというのは、金属や機械加工の分野の人なら良くご存じの伝統的な、また現在でも唯一の高精度な平面を作る方法です。三枚目の砥石の代りに刃物自体を代用して、二枚の砥石を交互に使って研ぐ事により、疑似三面摺りとしています。さらに、これは実用的というかある意味インチキな意味があります。鉋の場合最後に合わせる中砥石は、二枚の内凹気味のものを使います。鑿の場合は逆に凸気味のものを使います。さらに、鉋用の仕上げ砥石は、凸気味の中砥石と擦り合わせて面を修正、鑿用の仕上げ砥石はその逆です。こうすることにより、最終的な研ぎ上がりが、鉋の場合わずかに凸気味に、鑿の場合は逆に凹になります。もちろん、この凹凸の具合いというのは目で見て分かるようなものあってはなりません。刃物を実際に砥石に当てた際の鉄の下り具合いで判断するのです。

また、砥石の長手方向・つまりストロークの方向は、ストロークの距離を出来る限り短くして最初の図にあるような形になるようにします。慣れてくると、ストローク方向の砥石の歪みは研ぎながら分かるものです。ある程度なら、それを研ぎながら修正する事も可能です。

こうして、頻繁に砥石同士の擦り合わせを行い、刃物の当り方に気をつけていればある程度の間、砥石の平面を実用的には十分な範囲で保持することが可能です。それで、砥石の面がどうもそれでは修正がきかない程度に歪んできたと思えば、先にあげた治具で、一度すべての砥石の面を直します。その場合、コンクリート・ブロックにしろ、ガラス&ペーパーにしろ、砥石自体より固いもので研磨した場合は、どうしても凸気味になります。買ったばかりの砥石が、皆その面が凸なのもそのせいです。その上で、再び砥石の擦り合わせを頻繁に行いながら、交互に使って研いでいきます。こうしたやり方は、純真完全平面だとか、削り屑何ミクロンだとか言ったフェティッシュな志向のアマチュアやプロもどきの人には不評かも知れません。が、趣味にしろ仕事にしろ、研ぎの目的が刃物を使って木を加工してものを作ると言う意味であれば、十分に実用的です。

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研ぎの実際

砥石の話から随分脱線してきましたが、ついでに研ぎの作業の実際について触れます。

研ぎあげた胴突鉋

刃物の持ち方

良く質問されますが、特に決まった持ち方があるわけではありません。無理な指の使い方をせずに、しっかりと両手で刃物を保持できればそれで構いません。ただ、なるだけ刃先・つまりは研ぐ面に近い方に指を添えたほうが良いと思います。

ストローク

ゆっくりと短く!

アマチュアの人の研ぎを拝見すると、なぜ、そんなに慌ててシャカシャカするのかといつも思います。とりあえず早く研ぎあげたいという意識がそうさせるのかも知れません。繰り返しますが、研ぎと言うのは、研ぎ減らすというより、平面を作りそれを維持し続ける事だと考えてください。そうすれば、砥石の面も、研ぐ面も確認もせずに、あんな乱暴にガシャガシャしたやり方は出来ないはずです。ゆっくりと、またストロークの幅は、良く言われるように研ぐ刃物の幅を最大にそれより狭くします。砥石を部分的に凹ませないように、全面を使えと言われるかも知れませんが、はじめはあまり気にしないでください。安定した研ぎの感覚を覚えるのが先決です。ただし、その分、面直しはまめに行ってください。それで、五回研ぎのストロークをする毎に、研ぎ面がダレて丸くなっていないか、刃物を返して確認するくらいにしてください。

押すときに研ぐ

力の入れ方ですが、特に最初の頃は、刃物を押し出す時に力を入れるようにしてみて下さい。比較的安定して、しっかりと砥石と刃物の面を密着させて動かすことが出来ると思います。ゆっくりと押し出せば、指先に砥石が鉄を下ろしてゆく感覚が伝わるはずです。

手にした刃物がぐらつきやすいのは、押す動作と引く動作の切り替えの時です。また、引く動作自体も不安定になりがちです。どうしてもストロークが安定しないという人は、押して研ぎ、そのまま引いて返すのではなく、一端刃物を砥石から離します。それで、元の位置からもう一度刃物を砥石にピタリと密着し直して、再びゆっくりと押して研いで見てください。それを何度か繰り返します。まどろっこしいと思われるかも知れませんが、是非一度やってみてください。刃物と砥石の面を密着させながら、じっくりと鉄を下ろしてゆく感覚というもの、その際の指や腕の力の入れ具合いと言ったものが体感できます。それに、貧乏揺すりのように、せかせか前後に動かさなくても、ゆっくりとした軽い動作で、鉄が下りているのが分かると思います。その意味で、研ぎという作業に対する妙な先入観を払拭する事が出来ると思います。実際に、このやりかたを試してみてから、感覚を会得して短い間に、驚くほど研ぎが上手になった人を何人も知っています。

斜め研ぎ

砥石も刃物も一端きちんとした平面に研ぎ上げれば後の作業は比較的楽です。ただし、一端丸刃に研いでしまったものを矯正するのは実にたいへんです。丸刃になってしまった研ぎ面に、小さな平面を作り、それを徐々に広げてゆくわけです。それが砥石と密着させて十分に安定な状態を保持出来るようになるには、ある程度の面積が必要です。その最低限の面積を作るまでの間、手首を固め一定の角度を作りながら一挙に研ぎ上げます。相当な神経の集中と体力を要する仕事になります。その場合、少しでも研ぎの角度を安定させるためにいわゆる斜め研ぎをします。ちなみに、私は自分の道具を基本的には他人に貸しません。しかし、事情があって使ってもらう場合でも、決して研いで返すなと、きつくお願いをします。変に気を使ってもらって、丸刃に研いで返してもらうと、かえって後がたいへんで、ありがた迷惑なのです。研ぎが上手で自分で道具を大切にしている人は、決して他人の道具を借りたりしないものです。

詳しくは触れませんが、私は、研ぎの本来の目的から言えば、斜め研ぎは邪道だと思っています。ただ真っ直ぐ研ぐ感覚を体験するという意味では、上に挙げた一ストローク毎の押し研ぎと同様に意味はあると思います。

治具を使う

砥のための治具2点。いずれも刃物を固定してローラーで砥石上を滑らす仕組み。

それでも上手く研げないという人は、一度研ぎ用の治具を使ってみましょう。市販のものも各種あるようですし、自分で工夫して作っても良いでしょう。私自身も、アマチュアの頃、一分とか五厘の幅の鑿がどうしても上手く研げずに自分で作りました。画像の上のものは、イギリス製で鑿用、下のものは日本製で鉋用です。

現場の親方や教育現場の人でも、こうした治具を使うことを嫌う人もいるようです。しかし、少しも恥じる事ではないと思います。大事な事は、繰り返しますが、治具を使おうが、斜め研ぎをしようが、真っ直ぐな平面の砥石で、真っ直ぐに刃物を研ぐその感覚を体験し、体に覚え込ませることです。体で覚えれば、こんなものは自然と必要でなくなります。いわば、自転車の補助輪や水泳教室の補助の浮き輪のようなものと考えれば良いでしょう。一方で、相当年輩の大工でも、まともに刃物が研げない人もいれば、かたや一ヶ月ほど集中して訓練して、ちゃんと研ぎの基本をマスターする人もいます。教育とか修行というもののあり方に関わる問題でもありますが、その点については、後でまとめて触れたいと思います。

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研ぎの実際2

前に、どうしても研ぎのストロークが安定しない場合、一回毎のゆっくりした押し研ぎをしてみると良いと書きました。私は、現状はそんな面倒な事はしていません。それでも引くときはほとんど力を入れず、ただ角度を崩さないよう注意して戻しているだけと言った感じです。研いで実際に鉄をおろしているのは、ほとんどが押している時でしょう。そうしているのは、ストロークを安定させて丸研ぎしないというのが第一ですが、他にも理由があります。

刃先の角度

私の場合、刃物の刃先の研ぎ角度は30度を一つの基準にしています。鉋の場合、30度より少し鋭角気味の28〜29度くらい、逆に叩いて使う鑿の場合、30度より鈍角の32〜35度くらいにしています。特に意識して角度を考えてきたわけではありませんが、暫く仕事を続けて、刃物の切味と持ちのバランスする状態として、自然とこれくらいに落ち着いたという感じです。使う材料や仕事の仕方、道具の使い方で、色々でしょうが、少なくとも家具用の広葉樹を使う場合、鑿の場合30度、鉋の場合25度より鋭角になると極端に刃物の切れの持ちが悪くなり、下手をすると細かい刃毀れを生じるように思います。刃物の切味とか材への食い付き具合いというのは、角度に反比例して徐々に鈍っていくますが、刃先の耐久性はある臨界点があり、それを超えると急激に低下するように思います。もちろんそれには、用途や刃物自体の焼き入れ・戻しの具合い、さらに鋼の質のような複数の要因がからんできますが、研いでは使いを繰り返し、自分の持っている道具の一番良い具合いの刃先の角度を見つけるのも、木工の一つの醍醐味でしょう。趣味で木工を嗜まれる場合も、一度、その道具や刃物の最善と思われる状態にまで仕込んでみる事です。銘やブランドで道具や砥石を集めるより、はるかに有益で奥深い楽しみがあると思います。本当は、刃物の切味や道具の良し悪しなど、最低それくらい追い込んだ上での話です。それでなくては、鍛冶屋に失礼です。

どうしても、鉋が長切れしない、鑿の刃が毀れやすいという人は、一度刃先の研ぎ角を計ってみてください。ボール紙か薄い合板の板を、30度の角度に刳り貫いたものを用意して、それを基準にすると良いでしょう。

日本の刃物は、鋼と地金を合わせた構造になっています。もともと鋼が貴重だったせいらしいのですが、結果的に刃物の構造部分が柔らかい地金で構成され、固い鋼が必要最低限になることで、研ぎやすく、手入れがしやすくなっています。全鋼の欧米の鑿やらスクレッパーと呼ばれる道具を研いでみると、逆にそうした日本の刃物のありがたさが分かります。さて、鉋などのより高級なものは、地金の部分により柔らかく研ぎやすい古い鉄を使っています。関西では釜地かまじと呼ばれていますが、鍛冶屋は随分苦労して集めているようです。明治のある時期までの古い橋梁とかボイラーなどのスクラップが使われるようです。ある鍛冶屋さんに聞くと、古い橋梁でトンあたり\300,000ほどするとの事でした。一般の鉄鋼原料として使われるスクラップの場合、H2と呼ばれる良質のものでも一万円台ですから、実に高価なものです。下の鉋の画像で、地金の部分に黒い点が散在しているのが分かると思います。これが釜地の特徴で、見ればすぐ分かります。ちなみに、これを天然の仕上げ砥石で研ぐと、墨流しと言われるような斑紋が浮かび出てきてたいへん美しいものです。

釜地の鉋

こうした特に柔らかい地金を使ってあると、研ぎやすいのはもちろん、裏が切れたときにも、叩いて出しやすくありがたいものです。ただ、こうした柔らかい地金を使った良い鉋ほど、無自覚に研ぎ続けると、地金ばかりが研ぎ減って、次第に刃先の角度が鋭角になります。これを防ぐためには、押して研ぐ際に、刃先の部分に力を入れて、少し刃先を立てるように力を入れて研ぎます。慣れてくると、こうして研ぎながら、刃先の角度を少しづつ立てていく事も可能です。ただし、大きく刃先角度を変える場合は、一度刃先を潰してから研ぎ面を一から研ぎ出す必要があります。

左右の不均等

さらに、ある程度刃物を研いでゆくと、左右が不均等に研ぎ減らしている場合があります。一般的には利腕のほうに力が入りがちで、そちら側が片減りしている事が多いようです。鉋の場合は、台に仕込んだときに叩いても均等に刃が出なくなります。ある程度は叩き方で調整できますが、好ましいことではありません。鑿の場合はもっと深刻で、刃先の線が傾いていると、叩いたときに真っ直ぐ入りません。当然、真っ直ぐな穴は空けれません。また、大工作業と違って、指物の場合、鑿幅を基準に厳密に穴の幅を決めますが、刃先が傾いていると、どうしても抉る形になりますので、その幅がきちんと決まりません。逆に言うと、刃先線が軸方向にきちんと直角に研いであれば、黙って叩けば真っ直ぐに穴が掘れます。木工というのは、きちんと墨さえ着けることが出来れば、後は研ぎを含めた道具の仕込で、あらかた仕事の良し悪しが決まります。

基本的に自分にどういった癖があるのか、把握しておく必要があります。その上で、刃物・その鋼や地金の性質や形状で、ある程度意識的に左右均等に研ぐ力の入れ具合いを調整する必要があります。

前に書いたように、なるだけ刃物の先に近い位置に両手の指を添えて、押すときに研ぐようにする。そうすれば、こうした微妙な研ぎの角度とか左右の力の入れ具合いなどが、比較的容易に調整出来るはずです。

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まとめ

集中して取り組むこと

これから、木工に取り組もう、そのためにも刃物の研ぎをマスターしようと思われている人は、是非ともある期間集中して取り組まれる事をお奨めします。一日5時間でも6時間でも、それこそ寝食を忘れて研ぎ、それを一週間でも二週間でも続けて下さい。もちろん、仕事や家事があるでしょうから、実際にはその中で許される範囲でという事になるでしょうが、出来る限り集中して取り組んでください。ある程度そうした事を続けていると、指は変形し頭はボーとしてくるかもしれません。何時間続けても上手く研げずにイライラしてくるかもしれません。私は、冬場でしたが親指の爪を五分の一ほども研ぎ減らしていた事がありました。親指をガイド代りに摺らしていて、頭に血が上っていて痛いとか感じなかったのです。そうした時に、前に触れたように、一度毎の押し研ぎとか、斜め研ぎ、治具を使うなどの試行錯誤をしてみるのはたいへん大事なことです。ヒントの見つけ方は、人により様々なようです。

そうしたある時、スッと上手く真っ直ぐ研げていると感じる事があります。何がどう変わったとか、何かが分かったという事でもないのですが、手が決まり、これまで出来なかった真っ直ぐな研ぎが、自然と出来ているのです。それを感じることが出来たら、しめたものです。手元にある刃物を片っ端から研ぎ直して下さい。自分の上がった腕で、それまでとは見違えるような凛とした美しい風情に研ぎ上がった刃物を見て、研ぎという作業がますます好きになり、のめり込んでしまうと思います。

一般的には、コツを掴むと言う事になるのでしょうが、それまでに必要な時間は人それぞれ異なるようです。三日で掴む人もあれば、三ヶ月かかる人もいるでしょう。ただ、特に心身に障害を持つ人でない限り誰でも出来る事です。それに一端身につけてしまえば、忘れる事はありません。たとえ何かの都合で、一年ほど刃物を研ぐ時間や機会が取れなくても、再開すればすぐに思い出す事が出来るでしょう。こうしたいわばコツ掴みと言うか勘所押さえと言ったものは、繰り返しになりますが、集中した訓練によって得られると思います。子供に強制する夏休みの計画云々のように、毎日お行儀良く決まった時間に2時間、と言った具合いでは一月続けても無駄でしょう。頭に血を昇らせて、それこそ寝る時間も惜しんで、不謹慎ですが仕事中も考え続けて、帰宅すれば食事もとらずに始める。それくらい、ある種ムキになるくらい集中して取り組んでみるべきものだと思います。振り返ると、子供の頃の遊びはみんなそうでした。だから、野球でもサッカーでも、魚釣りでも、なんでもすぐに上手くなったのかもしれません。

この事は、自転車の運転に良く似ていると思います。子供の頃、練習し何度やっても転倒していたのが、ある瞬間すっと転ばずに乗れるようになりますね。なにがどう変わったとか、何が分かったとか説明しがたいものですが、それまでの転倒の恐怖が風を切る爽快感に変わります。もちろん、それからも何度か転倒したりもしますが、乗れるたのしさに夢中になり、ペダルを踏んでいるうちに、乗れなかった頃の事が嘘のように思えます。それに、一端乗れるようになると、たとえ、三年も四年も乗る機会がなくても、すぐにペダルをこぐ事ができます。研ぎの場合、逆に一端真っ直ぐに研ぐ感覚を体に染み込ませてしまうと、丸刃に研げなくなります。砥石の面が悪くて、平行にストロークが運べないとすぐに分かり、そのまま研ぎ続ける事が出来なくなります。

大工を三十年やっていても、また趣味の木工を十年やっていても、刃物をちゃんと研げない人もいます。長く続ければ自然と上手くなるというものではありません。大人になっても自転車に乗れない人がいるのと同じことです。そうした人は、残念ながらちゃんと研ぎの練習を集中してする機会を逸したのでしょう。もちろん、昔と違って電動の機械の使い方に習熟するなりして、それにりに作業をこなすことは可能です。ただ、仕事にしろ趣味にしろ、良く切れる刃物で木を削っていく、あるいは穴を空けるといった楽しさを味わえるのは大きなプラスであると思います。

研ぎには良い季節

今頃の季節、つまり梅雨から夏にかけては木工屋にとってはつらい季節です。体力的に厳しいのはもちろんですが、湿度により材が膨張し仕事の精度が出にくいのです。材全体に同じように膨張したり収縮したりするのなら問題も少ないのですが、表と裏、芯に近い部分と辺の部分、繊維方向と垂直方向、それぞれ違った動き方をします。倉庫も作業場もエアコンがかかって、常時一定の温度・湿度に保たれていれば良いのでしょうが、当然そんなものはありません。居直って、この季節は仕事に不向きだとして遊んで過せれば一番良いのですが、もちろんそれも不可能です。そうした事もあって、雨の日には決してしない仕事もあります。板矧ぎ、机の天板の平面出し、吸付き桟の嵌め合わせ、引き出しの仕込などです。逆に、刃物を研ぐという作業にとっては、今は良い季節です。

雨の日などは、空気中の埃が少ないせいか、最後の仕上げ研ぎの際に研ぎ筋がなくなるのが早く、比較的短時間できれいに研ぎ上がるような気がします。夏の暑い日の夕方、日が落ちた頃から、ビールを飲むのを少し我慢して、研ぎの準備をします。とりあえず水に触れることが出来るだけでも嬉しいものです。これが、冬ですと冷たい鋳物の木工機械でかじかんだ手を、更に冷たい水に晒すと考えただけで憂鬱になります。研ぎのように、神経を集中させて良い姿勢を保ってする作業を続けると、暑気を払って、心身をリフレッシュ出来る気がします。夏の夕方から夜にかけての研ぎはお奨めです。加えて、鉋の裏押しにも夏は良い季節のように思います。恥じを晒すと、今まで鉋の裏出しで二回鋼を割ってしまいましたが、二回とも冬でした。寒い時は、多少なりと鋼や鉄が硬化しているという事は、確かにあるようです。

刃物を研いでいても、今日は手が決まって具合いが良いという日と、そうでない日があります。上手に行く日は、普段使わなくなった刃物も取り出して、研いだりします。気分が良くなって、上手く研げた鉋なり鑿に油をひいて、暫く眺めます。で、それをアテにしてお酒を飲んだりしました。側から見れば随分不気味な絵ですが、道具が好きで研ぎが上手な連中は、皆初めの頃は、そうして研いだ刃物を眺めて酒を飲んだ事があるようで、自分だけでないと安心しました。

好きで始めた木工ですが、仕事として毎日続けていると、正直言っていやになる事もあります。今頃の季節、汗をかいた首筋にまとわりつく木の粉が煩わしいし、鉋かけなどある種自虐的な気分にならないと出来ません。どんな仕事でも一緒でしょうが、深くけだるいような疲れが沈殿して、すべて投げ出したくなるような気分に襲われることもあります。そうした時でも、研ぎをいやだと思ったことはありません。霙降る寒空の季節でも、アカギレた手でも、刃物が切れなくなったら、自然と研ごうと思います。だから、自分は木工が好きなんだなどと青臭い事を申し上げるつもりはありません。後から思い出して、ああ何とかこの仕事は続けていく事が出来るんだとか、これを続けるしかないかと感じるだけの話です。仕事自体というより、その道具とかそれを手入れすること、つまりその過程を相応に楽しんでる、そのことを飽きたとか拒絶反応を起こしているわけでないのだと自分で思います。一つのことを長く続けるというのは、そうした不細工で不格好な詰まらない何かに執着して、そこに自分なりに楽しみを見ているからと言う気がしています。そこに至る青い鳥探し、自分探しの旅の物語をいかにスマートに語れるかではないように思います。

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